三輪彩子個展「窓ごしに手を見る」
「窓ごしに手を見る」
2018年3月10日(土) – 4月8日(日)
本展は新たな会期を設定し無事オープン致しました。是非ご高覧ください
出展作家:三輪彩子
この度、CASHIでは2月24日(土)より3月25日(日)まで、三輪彩子個展「窓ごしに手を見る」を開催致します。
三輪彩子は、様々な木材やモルタル、洗剤といった素材を用い、インスタレーションやオブジェを制作しています。
今回の個展は、日常的なシーンから着想を得た作品からなる空間と、三輪の心的形象からなる空間で構成いたします。
誰しもが日常的に目にする何気ないものたちをモチーフとし制作された三輪の作品たちは普段は見過ごしてしまうような野菜の無人販売所や本棚のフォルムをしています。しかし、それぞれのどこか一部にその物が持つ性質から離れるための丁寧な手業が加えられています。それらは、一見すると生活の一部からそのまま摘出したような見慣れたものに思えますが、そのしかけによって本来の性質は抜け落ち、確実にオブジェへと変質しているのです。
また、大量の花がらや紫の岩絵の具が付けられた布などで構成された作品は、三輪の日常を成す一部分に由来しています。三輪が生活を送っていくなかで歩き、見つけ出し、手に入れてきたそのものたちは、それらに対しての心象によって作用を加えられ、作品へと昇華されています。三輪の作品を前にした時、その不意打ちされたかのような感覚に見るものは惑わされます。
今回はすべて新作にて構成いたします。是非、この機会にご高覧、ご紹介頂きたく、ここにご案内申し上げます。
※本展ではレセプションパーティーは行いません。
錆試論
gnck
凝り固まった、物の感性的な「役割」に疑問符をつけ、関係の系を解きほぐし、再び編み直すのが芸術の役割とすれば、三輪彩子にとって、錆たちは何の謂いだろうか。
金属が錆びる、塗装が禿げる、風雨にさらされた木が朽ちていく、葉が枯れる、焼けた木が焦げ落ちる。物事が、時間とともに錆びついていく。いつかは朽ち果てるものとして。
飾り立てられ、発光する色彩が、結局は人間に、社会に向けられているのに対し、錆は全く人間の都合の良さのためにはない。
復元された色彩の鮮やかさよりも、数百年を経て朽ちつつあるさなかの仏像に畏怖を覚える感性は、工業的な色彩が日常を埋め尽くした我々にとっては自然なものでもある。それらの素材がもともと持っている物性としての崇高さを、抽象化されたオブジェクトとして提出することは、現在において彫刻家の類型の一つとしてあるだろう。しかしそれは注意しなければ、朽ちていくマテリアルへの単なるフェティシズムともなりかねない。
しかし三輪作品は、ただ抽象化されたオブジェクトとして、錆びた物を放り出しているだけではなく、実際に存在する野菜の無人販売所といった「スケール」を引用してみせる。侵入を禁ずる黄色と黒の表示や、「無人」販売所は、人間にだけ意味を持つメッセージである。しかもそこには、そのメッセージを発する主体は既に不在となっている。それらのメッセージは、社会的な約束事が遵守されるであろうという「信頼」に基づいているものだ。しかし繰り返すが、錆に、人間の社会的な都合は全く関係がない。錆のもつ崇高さは、人間のコミュニケーションの総体でしかない「社会」が終わったとしても残り続ける「世界」を示すゆえのものだ。であるとすれば、人目をひく色や記号の虚飾が終わったあとの世界で、しかし人が人をささやかに信頼していた痕跡がどのように見えるのかをということを、三輪の作品は示してくれているのかもしれない。
2018年4月6日
三輪彩子個展に寄せて
PDFダウンロード